現在イランの公用語
ペルシャ語は、アラビア文字を使ってはいるのですが、文法も単語の語源も全く異なる言語です。ペルシャ語の起源は、一般的に古代ペルシャ帝国にまで遡ると言われています。ただし言葉というのは生ものですから、近隣の国々の影響を長年受け続けていれば変化していきます。したがって今のイラン人が例えタイムスリップしたとしても、古代ペルシャ人とペルシャ語で意思の疎通が図れるかどうかは解りません。ちなみに、ペルシャ語とほぼ同じ言語で、アフガニスタンではダリー語、タジキスタンではタジク語と呼ばれています。 ペルシャ語を話す人口は、現在大凡4,600万人と言われていますが、華やかな大帝国からすると、あまりにも小さくこじんまりとしてしまったようで、盛者必衰、諸行無常を感じないではいられません。 アラビア文字を使う以前は、一体どのような文字だったのでしょうか。ササン朝ペルシャ時代のコインに刻まれているのがパフラヴィ文字と言って、当時のペルシャ語の文字で、右から左に書いていくという点ではアラビア語と同じです。 イスラーム圏というのは、日本から見ると距離的にはヨーロッパよりも近いのですが、あまりにも情報が少なすぎて、その意味ではヨーロッパよりもはるかに遠いエリアですね。でも、私達日本人の中には、ヨーロッパよりもイスラーム圏の遺伝子を受け継いでいる人も多いという説もあります。今年平常遷都1300年で奈良県を挙げて盛り上げておりますが、平城京の遷都の際に中東からも多くの出稼ぎ労働者が来たとそうです。聖徳太子縁の地である斑鳩にある法隆寺の解体再建築工事の時に、古代の建材にハサンというアラブ圏の男性の名前の落書きが発見されたと言われています。多くのペルシャ系の技術者も平城京建築に携わっていたいう噂もあります。螺鈿細工の技術などはペルシャのものと言われています。 当時の日本の人口がどのくらいなのか、誰にも正確な数字は解りませんが、1000万人居なかったのではないかと言われています。それが本当だとしたらその人数で平城京遷都の作業を国内だけで行うのは難しかったかも知れません。多くのアラブ系労働者が日本に居たとして、今私たちの周りを見回した時に、その子孫ではないかと思われる容姿の人がいませんか?ペルシャ人に関して言うならば、ペルシャ帝国崩壊以降ペルシャ人達は何処へ行ったのか、ということですが、多くのペルシャ人はそこに残ったと思われます。そこに居られない人々がいるとしたら、それは庶民ではなく王侯貴族や特権階級の人々だったはずです。多くのペルシャ系渡来人が日本に来たという研究者も数多く居ます。例えば奈良県明日香村に点在する謎の人面石造物は、造られた年代も目的も、誰が造ったのかも解っていません。ただ、それらの石造物を見て今年生誕100年の松本清張先生は、ペルシャ文明との結びつきを確信されたようでした。我々日本人の中には、ペルシャ系の地を受け継いだ人も多いかも知れません。ここ数年良く耳にするキャッチコピーに「日本人よ物作り遺伝子を継承せよ」というのがありますが、確かに日本人は物作りに長けた民族なのかも知れません。その理由はもしかすると本当にペルシャ系技術者の子孫だからかも知れない、そう考えるとそう遠い国でもないように思えて来ます。
ここの料理が気に入ってリピーターになっています。
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